必要とされない自分を受け入れたい

みなさんは誰かに必要とされていますか? 私はされていません(迫真)

今回は必要とされてないのに承認欲求を持ってしまった私の話をしたいと思います。


必要とされる人間とは

ではまずどんな人が必要とされるかですが、もちろん人々に貢献できる人ですよね。

具体的には優れた容姿や声で魅了したり、技術力や知識で社会を便利にしたり、

明るい性格で組織を盛り上げたりと言ったところでしょうか。

さてこれらを踏まえた上で、私には何があるかと言ったら、、、、、ほんとに何もないんですよね。

知識や技術は「努力しろよ」みたいなところあるので、実際身につけようとはしていますが

上位互換がわらわらいてお話にならないってところです。


必要とされたいと思ってしまった理由

自分語り突入してしまうのですが、最近まで仕事が忙しくて「他人に貢献している感」が高まってたんです。

また暇な期間がきて、幸せな「貢献している感」がなくなってでも仕事がないから、似たような

「他人から認められる感」を欲しがったのだと思います。でも「貢献している感」は自己満足で得られますが

「認められる感」は他人によって起こされるために、他人にあれこれ期待するような考え方になるゆえ

自分で自分を苦しめるようなことになっていました。


自分の気分を他人に委ねてははいけない

人が不機嫌になる原因は「自分の中のあたりまえ」を崩されたときじゃないでしょうか。

これに他人はこうするべきだみたいなのが入っていたり、そのときそのときで「あたりまえ」が

変わっちゃう人が気分屋になりやすい人じゃないかなって、まあ自分なんですけど笑

自分が未熟だって気づいたところで、どうしていくかを未熟ながらに考えたいです。


必要とされることを目的としてはいけない

では最後に、何か行動するときに他人からの評価を目的としてはいけないということを

まとめとしたいと思います。

なぜなら必要とするしないは他人が決めることで、自分ではどうすることもできないからです。

ですので必要とされてない現状を受け入れ、

他人に貢献できる技術力、人格を身につけるよう努力し、自己満と言えども自分に甘くならないように

したいですね。

以上です!閲覧ありがとうございました!